出口の文学鑑賞 第三部
第三部 豊太郎の「弱き心」
二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢(あえ)て訪(とぶ)らはず、家にのみ籠り居(おり)しが、或る日の夕暮使して招かれぬ。往きて見れば待遇殊にめでたく、魯西亜(ロ シア)行の労を問ひ慰めて後、われと共に東にかへる心なきか、君が学問こそわが測り知る所ならね、語学のみにて世の用には足りなむ、滞留の余りに久しければ、様々の係累もやあらんと、相沢に問ひしに、さることなしと聞きて落居(おちい )たりと宣ふ。其気色辞(いな)むべくもあらず。あなやと思ひしが、流石に相沢の言(こと)を偽なりともいひ難きに、若しこの手にしも縋(すが)らずば、本国をも失ひ、名誉を挽(ひ) きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝(つ) いて起れり。嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承はり侍(はべ)り」と応へたるは。
あ~あ、もう知らない。
やっぱりエリスを裏切って、日本に帰るつもりじゃない。
それを「弱き心」のせいにするなんて、非情だわ。男らしくない。
結局、本当のことを言って、大臣の怒りを買い、その結果、帰国に道を閉ざされるのが怖かったんじゃないの。
あいか
先 生
その通り。そういった意味では、豊太郎はもちろん有罪だ。
でも、それじゃ、豊太郎はエリスを棄てたかと言ったら、必ずしもそうは言い切れないところがあるんだ。
どうして? よく分からないわ。
あいか
黒がねの額(ぬか)はありとも、帰りてエリスに何とかいはん。「ホテル」を出でしときの 我心の錯乱は、譬(たと)へんに物なかりき。余は道の東西をも分かず、思に沈みて行く程に、往きあふ馬車の馭丁に幾度か叱(しつ)せられ、驚きて飛びのきつ。暫くしてふとあたりを見れば、獣苑の傍(かたわら)に出でたり。倒るゝ如くに路の辺(べ) の榻(こしかけ)に倚りて、灼くが如く熱し、椎つちにて打たるゝ如く響く頭(かしら)を榻背(とうはい)に持たせ、死したる如きさまにて幾時をか過しけん。劇しき寒さ骨に徹すと覚えて醒めし時は、夜に入りて雪は繁く降り、帽の庇(ひさし)、外套の肩には一寸許(ばかり)も積りたりき。
先 生
ここで描かれているのは、豊太郎の錯乱状態なんだ。
大臣にはすでにエリスとの情交を断ったと言ってしまった。だが、棄てがたきはエリスの愛、実際にエリスに正面向かったなら、とても彼女を捨てることなどできないだろうということは彼自身充分分かっていた。だから、錯乱するしかない。
まさにここでも「弱き心」が描かれているわけだが、結局は豊太郎はエリスを捨て去ることができなかったんだ。
本当に分からない。捨てることができないって、じゃあどうしたの?
あいか
我脳中には唯我はゆるすべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。
先 生
これがその時の豊太郎の告白だ。大臣に「承はり侍り」と言ってしまった。そのこと自体がすでにエリスに対する裏切りであることは明白だ。
その罪の意識が彼の心の奥深くを、錐のように突き刺した。
大臣にいったんは約束したものの、豊太郎はどうしてもエリスを捨て去ることはできない。
ああ、豊太郎はどうするのかしら。
あいか
四階の屋根裏には、エリスはまだ寝(い)ねずと覚(お)ぼしく、烱然(けいぜん)たる一星の火、暗き空にすかせば、明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如き雪片に、乍(たちま)ち掩はれ、乍ちまた顕れて、風に弄(もてあそ)ばるゝに似たり。戸口に入りしより疲を覚えて、身の節の痛み堪へ難ければ、這(は)ふ如くに梯を登りつ。庖厨(ほうちゅう)を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に倚りて襁褓(むつき)縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」
先 生
エリスが豊太郎を一目見て、思わず叫び声を上げた。
それほど豊太郎の様子は異様だったと言える。確かに、豊太郎はエリスを棄てようとしている。でも、その苦悩のありようは、尋常のものではなかったと言える。
まあ、それだけ苦しんだのなら、ちょっとだけ許してあげてもいいわ。
あいか
驚きしも宜(うべ)なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪はおどろと乱れて、幾度か道にて跌(つまず)き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪によごれ、処々は裂けたれば。
余は答へんとすれど声出でず、膝の頻(しきり)に戦おののかれて立つに堪へねば、椅子を握(つか)まんとせしまでは覚えしが、その儘(まま)に地に倒れぬ。
えっ、何よ、これ。どうなったの?
あいか
先 生
豊太郎はこの時意識を失い、エリスの前で倒れてしまったんだよ。
人事を知る程になりしは数週(ずしゅう)の後なりき。熱劇しくて譫語(うわこと)のみ言ひしを、エリスが慇(ねもごろ)にみとる程に、或日相沢は尋ね来て、余がかれに隠したる顛末(てんまつ)を審(つば)らに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕(つくろ)ひ置きしなり。余は始めて、病牀に侍するエリスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬(ほ)は落ちたり。相沢の助にて日々の生計(たつき)には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。
えっ、数週間も意識不明のままだったの?
あいか
先 生
おそらく相沢謙吉も驚いただろうと思う。豊太郎の言葉を信じて、エリスとの情交はすでに断ちきったものと信じていた。ところが、訪ねてみると、豊太郎はエリスとその母親と暮らしていたときのままで、しかもエリスのおなかには赤ちゃんがいたんだ。
後に聞けば彼は相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄(にわか)に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵(たう)れぬ。相沢は母を呼びて共に扶(たす)けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髪をむしり、蒲団(ふとん)を噛みなどし、また遽(にはか)に心づきたる様にて物を探り討(もと)めたり。母の取りて与ふるものをば悉(ことごと)く抛(なげう)ちしが、机の上なりし襁褓を与へたるとき、探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。
これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆(ほとんど)全く廃して、その痴(ち)なること赤児の如くなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病(やまい)なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院(てんきよういん)に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔(ききよ)す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをりをり思ひ出したるやうに「薬を、薬を」といふのみ。
先 生
いやああ、エリスが可愛そう。だって、精神に異常を来したのでしょ? エリスは帰ってこない。もう取り返しが付かないのよ。
余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍(かばね)を抱きて千行(ちすじ)の涙を濺(そそ)ぎしは幾度ぞ。大臣に随ひて帰東の途に上ぼりしときは、相沢と議(はか)りてエリスが母に微(かすか)なる生計(たつき)を営むに足るほどの資本を与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。
嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(のうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。
先 生
ここで着目して欲しいのは、豊太郎自身が自分のことを「弱くふびんなる心」と告白していることだ。のちのちの物語の展開の伏線になってくる。
豊太郎はすべてを相沢謙吉のせいにしているのかしら?ふ~う、なんか胸の中がすっきりしない。どうしたらいいんだろう?
先生、この乙女の胸の奥にある棘をとって下さい。
あいか
謎を解く鍵は冒頭の一文に
先 生
まず最初に確認しておかなければならないこと。
作品冒頭をもう一度読んでごらん。
此(この)恨は初め一抹の雲の如く我(わが)心を掠(かす)めて、瑞西(スイス)の山色をも見せず、伊太利(イタリア)の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭(いと)ひ、身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳(かげ)とのみなりたれど、文(ふみ)読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度(いくたび)となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷(しよう)せむ。
先 生
この文章が作品末尾の「されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」と呼応していることは分かるだろ?
もちろん末尾の一点の憎む心は相沢謙吉をさしている。そして、豊太郎は、エリスをベルリンに残したまま、帰国の途につく。数ヶ月の船中の中で、一点の彼を恨む心は次第に大きくなり、「腸日とに九廻すともいふべき惨痛」とある。
これは恨みではなく、惨痛とある限り、もはや相沢謙吉に対する恨みと読むことはできないんじゃないか?
先生、じゃあ、いったい何に対する痛みなの?
あいか
先 生
これが第一の謎だよね。
そして、それはやがて「一点の翳」となるのだから、おそらく豊太郎は帰国後も生涯この「一点の翳」を心の奥深いところに隠して、何事もなかったように生きていかなければならなくなる。
もちろんこれは「恨み」の変形であることには代わりがない。だが、ただ、単に相沢謙吉一個人に対する恨みではなくなっているではないか。
やっぱりわかんないよお。先生、教えて?
あいか
先 生
さて、豊太郎が有罪か否か?
もちろん豊太郎が有罪であることは疑いがない。
でも、現実には豊太郎はエリスを棄ててはいないんだよ。
えっ、先生、それどういうこと?
あいか
先 生
棄てることさえ許されなかったんだ。豊太郎は相沢謙吉にエリスとの情交を断つことを約束した。でも、それをエリスには言えずに、苦しんでいた。
あの最後の夜、結局エリスをどうしても捨てることができず、錯乱状態に陥り、そしてエリスを一目見るなり、意識不明になる。
確かに豊太郎はエリスを棄てなければと思ったけれど、実際には捨てることができなかったのね。彼が意識不明の間に、相沢謙吉がやってきて、事の真相をエリスに告げ、それを聞いたエリスが発狂する。
あいか
先 生
うん、だから豊太郎が意識を取り戻したときには、すでにエリスは精神に異常を来していたんだ。相沢謙吉に対する恨みは、すべてが自分のあずかり知らないところで起こってしまったという恨みでもある。
豊太郎は相沢に情交を断つという約束をしたことは有罪だけど、実際にはそれを実行しなかったから無罪、あるいは情状酌量の余地ありか。
あいか
先 生
その通り。では、何故数週間の意識不明という強引な筋立てを用意してまで、鷗外はエリスを発狂させ、豊太郎を帰国させなければならなかったのか?
う~ん、確かに不自然だわ。なんか推理小説を読んでいるみたいで面白い。
先生、早く謎解きをしてね。
あいか
「舞姫」は鷗外の贖罪の書
先 生
若い鷗外が帰国した後、その後を追うように、エリスという一人の女性がドイツから日本にやってくる。
えっ、エリスって。あの「舞姫」の?
あいか
先 生
ドイツ名はエリーゼ、長らくこのエリスという人物が実在するかどうか、論争の的だった。なぜなら、鷗外の「ドイツ日記」にエリスに関する記述は一切書かれていない上に、鷗外の家族が「舞姫」は架空の物語だと全面的に否定したんだ。当の本人は、一切それについて語らない。
で、日本に鷗外を追っかけてきたエリスは、どうなったの?
鷗外のことをよっぽど愛していないと、若い女性一人で日本まで来るはずもないもの。
あいか
先 生
「ドイツ日記」は鷗外帰国後書き直されていた。普通、日記を書き直すことは滅多にない。おそらくエリスに関する一切の記述を、日記から消す必要があったのではないかな。
そして、家族全員の説得により、エリスを帰してしまう。エリスを鷗外には逢わせなかったらしい(一度だけ逢ったという説もある)。
そんなのひどすぎる。鷗外も鷗外だわ。そんな家族のいいなりになるなんて。
でも、どうして、そんなひどいことをしたの?
あいか
先 生
ここで忘れてはいけないことは、鷗外は新帰朝者であり、しかも軍人だったということだ。そして、当時軍部の中でもエリス事件が噂になっていた。何としてもその噂をもみ消す必要があったんだ。
現に、帰国の翌年、赤松登志子と結婚、政略結婚である。エリスはドイツに帰り、すべてはうまくいった―はずだった。
結局は保身第一だったのね。太田豊太郎よりもひどい。
鷗外は有罪、絶対有罪よ!
あいか
先 生
ここで問題なのが、何故鷗外が「舞姫」を書いたかだ。
だって、あいかちゃん、どう読んだって、豊太郎は鷗外の分身に思えるだろ?
うん、鷗外そっくりだわ。
あいか
先 生
しかも、「舞姫」の豊太郎は自分の立身出世と引き替えに、身籠もっているエリスを棄て、精神に異常を来した彼女を棄てて帰国した。
ひどい。本当に人間として許せない。
あいか
先 生
実際、当時の女性雑誌など、当時の人もあいかちゃんと同じ感想を抱いたようで、豊太郎=鷗外と思い込んで、鷗外に対して非難囂々(ごうごう)だったんだよ。
そりゃ、当然よ。
あいか
先 生
でも、変だと思わない? 鷗外の家族たちはエリス事件をもみ消すために、政略結婚までさせたんだよ。そうやって、せっかく嫌な噂をもみ消したのに、何故鷗外がわざわざそれを蒸し返すように「舞姫」を書いたのか?
あっ、そうか。第一、ヒロインの名前までエリス。まるで懺悔しているみたい。
あいか
先 生
「舞姫」は鷗外の小説第一作。その晴れがましい作品に、僕には鷗外自身の深い苦悩が読み取れるんだ。
もちろん、「舞姫」執筆動機に定説はない。あくまで僕の推論に過ぎないが、「舞姫」は鷗外の贖罪の書ではないかと思うんだ。
贖罪? 鷗外は罪を犯したの?
あいか
先 生
鷗外にとって、ドイツは生涯唯一の自由な世界だった。まさに自由な風に吹かれて、異国の金髪の女性と恋に陥った。
おそらく鷗外はエリスと結婚の約束をしたに違いない。自由な風の中で、鷗外は家族を何とか説得することができると思ったんだ。そして、エリスは鷗外の言葉を信じて、単身日本を訪れる。
先生、鷗外はエリスを本気で愛していたの?
あいか
先 生
もちろんだよ。おそらく鷗外の一生の中で、唯一本気で愛した女性じゃないかな。そして、生涯忘れることはなかった。鷗外の机の中には、終生エリスのイニシャルが付いたハンカチが眠っていたらしいし、晩年の作品の中にもエリスを思わせる女性がしばしば登場する。
単にエリスという女性を愛しただけでなく、エリスを中心としたドイツの思い出が鷗外の青春であり、そしてその時だけが唯一鷗外が一人の人間として生きることができたからじゃないか、僕にはそう思えるんだ
鷗外が人間として生きた?
ということは、鷗外は日本に帰ってからは、一人の人間として生きてないの?先生、ねえ、どうして?
あいか
最初の近代人・鷗外の悲しみ
先 生
日本の帰国途上、その船中で鷗外は一日中考え続けたに違いない。自分を待ちかまえている封建的な世界、自分を取り巻く様々なしがらみ、聡明な鷗外はこれから先のことがありありと見えたに違いない。
だから、「舞姫」では、冒頭船中での苦悩の告白から物語が始まっていく。
一点の恨みは最初は相沢謙吉に対してのものだったかもしれない。でも、それはあくまで一点の恨みに過ぎず、船中で次第に凝り固まって腸九回する惨痛へ変わったのは、自分自身を待ち受けている運命そのものだっただろう。
そして、鷗外はそれに抗いがたいことを次第に自覚していく。
一瞬エリスを愛し続けることが可能だと思ったのは、自由な風が吹くあの夢の国故の幻だったのだ。
そして、あの時生じた恨みは、生涯鷗外の心の奥底にしこりとして残っていく。それを押し隠して、鷗外は生きていかなければならない。
鷗外はあんなに苦労して留学して、あれほど勉強して帰ったのに、エリスも青春も夢も自由もみんなドイツに封印したのね。
あいか
先 生
あっ、そうそう何故鷗外が「舞姫」を書いたのかだったね。
家族全員がエリスをドイツに追い返し、その噂をもみ消そうとした。あわてて、赤松男爵の娘と結婚させた。すべてが家のためだった。
だが、鷗外は生涯エリスを忘れることはなかった。
鷗外の心の奥に一点の恨みが残ったはずだ。
でも、やっぱり卑怯よ。それほどエリスを愛していたのなら、どんなことがあっても家族を説得したはずよ。
あいか
先 生
あいかちゃんがそう思うのは、君がすでに近代人だからだよ。自我が芽生えているから、自分の意志で物事を決定することが当たり前になっている。
鷗外はともかく、少なくとも豊太郎はまだ封建人だったんだ。
明治の知識階級は江戸時代にはその殆どが武士階級で、個人よりも家や国家の方が大切だった。
恋愛はあくまで個人のもので、相沢謙吉に言わせれば、一個人の私情に縛られてはいけないとなる。
当時の価値観で言えば、恋愛よりも家や国家の方がはるかに重たい。ましてや、鷗外は新帰朝者で、当時の明治国家を背負っている。
家族全員でそう説得されたなら、鷗外は断腸の思いでそれを受け入れるしかなかった。
そうかあ。豊太郎にも鷗外にもちょっとだけ同情しちゃおうかな。
あいか
先 生
相沢謙吉だったら、いとも簡単にエリスを棄て、それを当然だと考えたはずだ。豊太郎は自由な風に吹かれて、近代人としての自我が芽生えかけたところだった。
だが、それも一瞬の幻で、結局は家や国家から自由になることなどできなかったんだ。
敢えて言えば、豊太郎は一人の女性を棄てるのに、精神を喪失するほど苦しみ抜いた最初の近代人だったんだよ。
私、相沢謙吉をクールでかっこいいと思っていたけど、それは彼が封建人だったからなのね。
あいか
先 生
それでも鷗外の心の奥底には一点の恨みが残った。明治二十三年、鷗外は「舞姫」を発表、家族全員の前でそれを朗読したらしい。「舞姫」を発表するや否や、世間でも非難囂々。新帰朝者ともあろうものが、異国で日本人の恥をさらした。そういった批判に鷗外は晒される。
実際、軍部はそうした批判を重視して、鷗外に文学活動の停止を命じる。以後、鷗外は後に軍医総監という最高の地位に上り詰めるまで、小説を書くことができなくなった。その代用として、様々な翻訳作品を発表することにはなるが。
何だか鷗外がかわいそうになったわ。
自分の気持ちを世間に向かって正直に言えばいいのに。
あいか
先 生
鷗外は一切の批判に対して、かたくなに沈黙を守ったままだった。何も語ろうとしなかった。
あいかちゃん、考えてごらん。
「舞姫」は豊太郎=鷗外と自然に読めるようになっている。そして、豊太郎は精神に異常を来したエリスを棄てて、帰国する。当然、世間では鷗外に非難が集中する。現実にはエリスという女性が鷗外を追いかけて日本まで来たが、その女性は妊娠もしていなければ、発狂しているわけでもない。何故、鷗外はこんな小説を書いたのだろうか?
あっ、そうだ、確かに変。これ、変よ。「舞姫」を書くことで、鷗外は自分をわざわざ窮地に追い込んでいる。鷗外ほどの聡明な人なら、そのことは分かっていたはずだわ。
あいか
先 生
そうなんだ。もちろん、豊太郎=鷗外とは言い切れない部分もあるし、これについても様々な異論がある。
でも、「舞姫」を読むと、僕には鷗外の悲しみが分かる気がするんだ。
現に、「舞姫」発表をきっかけに、子供が一人いるにもかかわらず、鷗外は突然奥さんと離婚してしまう。
えええっ。
あいか
先 生
僕の推論はこうだ。
おそらく鷗外は異国の地で自由になりえたと思ったことがすべて錯覚だと思わざるをえなくなった。家族全員に説得され断腸の思いでエリスを追い返した。愛してもいない人間と結婚させられた。
すべてが家のため、国家のためと呑んできた。
でも、一点の恨みだけはどうしようもなかった。そこで、「舞姫」を発表。それは自分の自由を奪い取ったすべてのものに対する恨みの告白だったはずだ。
だから、作品の冒頭と末尾に恨みが述べられているのね。
あいか
先 生
それと同時に、命がけで愛し、生涯忘れることのなかったエリスに対する罪滅ぼしだったのではないかな。だから、自分を悪者にし、しかも鷗外は一切弁解しない。まさに「舞姫」は贖罪の書でもあったわけだ。僕にはどうしてもそう思えるんだ。
みずみずしい感性が消えない鷗外の不思議
先 生
ところで、鷗外は自分の死を前にして、遺言を書き残している。しかも、わざわざ家族全員の前で、その遺言書を親友の賀古鶴所に朗読させているんだ。
何とも異様な光景だと思う。
余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所(かこつるど)君ナリ。コヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス。死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何(いか)ナル官憲威力ト雖(いえども)此ニ反抗スル事ヲ得ズト信ズ。余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス。宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス。森林太郎トシテ死セントス。墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラズ。書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ。手続ハソレゾレアルベシ。コレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サズ。
大正十一年七月六日
先生、賀古鶴所って、誰?
あいか
先 生
鷗外の親友だが、実は相沢謙吉のモデルになった人なんだ。
えっ、あの一点の恨みの対象になった人?
あいか
先 生
「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得ズト信ズ。」こんな不思議な遺言書はない。
ほんとう。鷗外は一体何を言おうとしたのかしら?
あいか
先 生
「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
鷗外が言いたかったのは、この一文に集約されていると思う。
そんなことわざわざ遺言に書くの?
あいか
先 生
文豪森鷗外でもなく、軍医総監の森林太郎でもなく、ただの石見人森林太郎として死にたいということ。
当時、軍医で最高の地位は中将止まりだったけど、死んだら一階級昇進して、鷗外は陸軍大将となる決まりだった。それも辞退せよといった内容なんだよ。
ああ、分からないわ。先生、一体どういうこと?
あいか
先 生
一人の人間として死にたいということは、裏を返せば、鷗外は一度も人間として生きたことがなかったということじゃないかな。
もちろん、あのドイツ留学の時をのぞいては。
家のためお国のために自分を押し殺してだったわよね?
あいか
先 生
でも、鷗外の不思議は単にそれだけではなく、軍医総監になった後、堰を切ったように次々と名作を生み出していった。
自分の青春をドイツに封じ込め、ひたすら一人の人間としてではなく、官僚として、軍医として、家のため国家のために自分を殺して生きてきた。
それなのに、あのみずみずしい感性は決して消えることなく、様々な作品にそれらは結実していく。そこに鷗外の不思議があるような気がするよ。
それでも、一点の恨みは生涯消えることがなかった。
何だか考えさせられちゃう。
私は今自由を当然だと思って、何も考えないで生きているけど、実は鷗外が自らの恋愛をドイツに封じ込めることで、近代という時代が開いていったんだわ。
私、反省しました。
今まで、自分の価値観や好みで、名作をかってに好きだ嫌いだって切ってきたけど、実はそうじゃないんだ。
その時代の状況や、その時の価値観をしっかりと頭に置いて、その作品を鑑賞しなければ、本当の意味で読んだことにはならない。
あいか
先 生
あいかちゃん。ちょっと大人になったな。
それにもう一つ、お勉強しました。
教科書で習った文豪たちはみんな悩んで悩んで、そしてその先に私たちが今を生きているんだってこと。
あいか
先 生
明治から近代が始まったけど、時代はずっと今に至るまでつながっているんだ。
歴史は因果関係を教えてくれるけど、文学はその時代に生きた人の、人間としてのありよう、そして精神の奥深いところを伝えてくれるんだよ。
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