田原総一朗「思考停止大国、ニッポン」
はじめに
出口汪と著名人の対談・真剣勝負、第十弾はジャーナリストで評論家、ニュースキャスターの田原総一朗氏との対話です。
ニッポンという国を今の視点から語る、全三部構成で公開していきます。
この対談は2012年8月1日に行われたものです。
第一部 タブーを超えて時代の変動を見据えたい
難しい言葉はごまかすために使われる
古市憲寿さんの書かれた『絶望の時代の幸せな若者たち』という本が結構売れているんですが、ご存知ですか?
これを読むとなかなか面白い。彼らの世代は物心ついたときから日本は不況だから、高度成長もバブルも知らないわけですよね。
僕らみたいな世代は、「もう一度、高度経済成長を!」みたいに思いがちですが、彼らはそうじゃない。物なんか欲しがらない。だけど、結構前向きで、たくましいんですよ。
田原
出口
30歳前後のかつての僕の教え子たちの中には、今ビジネス界で成功している人も多いんですよ。昔みたいに起業するにもお金がかからない。「才能ひとつで勝負しよう」そういう前向きさを感じます。
かつては会社に属すか、それともフリーかという、2つの選択しかなかったわけですが、彼らは会社に属するのでもフリーでもない、その間にいる感じなんです。
つまり、会社は作っているんですが、それを大きくしようという気はない。それでいて結構うまくいっているんですよ。
先日、六本木にあるシェアハウスを取材しました。これが面白かったんです。最近の若者はブランドに興味がないから家も欲しがらない。だから、住むところにこだわりがなくて、マンションの部屋を4、5人で借りて住んでいる。
左手に六本木ヒルズ、右手にミッドタウンが見えるような、バブルの時に出来たマンションだから豪華で、家賃も30万円くらいと高い。だからあまり借り手がない。ところが数人で借りれば問題ないわけです。
そういう割り切りがあるんですよね。しかも借りた人たちは、それぞれ別の事業をやっている。
田原
出口
現実を踏まえながらも、その枠の内で自己実現をめざす気概を失っていないんですね。東大に起業家サークルがあって、それぞれが学生でいる間に自分で会社を作る。そういう動きが盛んです。
不況下に生きながらも、新しいことをしようという流れが若い世代にあるのを感じます。僕も負けていられないと、ラジオ日本で「平成世直し塾」という番組を始めたんです。
もともと論理的な思考を教えることが本業ですから、日本のどこが問題で、どうすれば解決できるのかについて、誰もがわかる言葉で一緒に考えていこうという番組なんです。専門家が難しい言葉で語ってもわかりにくいですからね。
経済評論家でも政治家でも、だいたい難しい言葉を使うときはごまかしがある。
テレビ番組でも、難しい言葉を使う人には、「僕は頭が悪いからもっと易しく言ってくれ」と言うんです。すると何も言えなくなる。自分の理解の深まりのない話をするとき、専門用語を使うんですよね。
田原
右肩上がりの経済はもうない?
出口
専門用語の問題と似ていますが、過去の時代をわかりやすく説明するための枠組で、今の時代を語ろうとする人が未だにいます。しかし、それでは深まりのある話にならない。もう無理があると思うんです。
そうですね。「左が進歩的で良いんだ」という立場だって、今はもうありえないわけで――あれは社会主義が理想的に考えられていた時代の話ですから。
例えば共産党なんて進歩的でも何でもなく、今や日本で最も保守的な政党だと思いますよ。だって、自分たちの立場を「変えない」と言っているのだから。つまり保守ということです。日本で最も保守的な政党が、共産党だというわけです。
田原
出口
ひとりひとりの単位で見ると良い人たちが多いのだから、思い切って共産主義から転換したら、良い党になると思うんですけどね。でも捨てられない。
捨てるということについて言えば、「右肩上がりの経済」という考え方からなかなか抜けられない人も多いと思います。
私は逆に「右肩上がりの経済はもうない」という主張は、あまり信用していないんです。たしかに国全体のGDPは上がらないと思います。すでに中国に抜かれましたし、これからもっと落ちて行くでしょう。
だけど、そのことと1人当たりのGDPまで落ちることを座視していて良いのか。そこは問題ですよ。
田原
出口
なるほど。
私が小学5年生の夏休みに戦争が終わったんです。すると1学期まで教えられたことと、2学期になってから教えられたことが正反対になりました。
戦中は「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」だった。ところが戦後になるとぜいたくになることが良しとされた。そして、高度成長を経て、生活が豊かになっていきましたよね。
原発事故以降、今までの豊かさへの反省からか、自分たちの生活を見直そうという流れがあります。
それは良いとして、とにかく原発に反対。電力なんてそんなに無くたっていいじゃないか。貧しくてもいいじゃないか。つきつめると「ぜいたくは敵だ」と同じような論調があるわけです。
僕は1人あたりのGDPが下がって、みんなが貧しくなるような社会がいいとは決して思わない。
田原
出口
若い世代と我々の世代では、ぜいたくの意味が違う気がするんですよ。彼らは車や家とか、ひたすら物質的豊かさを追求するような生活には興味を持っていない。そういうぜいたくには関心が持てないだけで、貧しくなりたいわけではないと思います。
タブーが好きな日本人
石原慎太郎が今回の震災を「我欲に走った日本人への天罰だ」と言ったけれど、戦後日本は豊かになるしかなかったんです。豊かになることにしか存在理由がなかったんですよ。
つまり、国家について考えることはタブーだった。だから、「どこかの国が攻めてきたらどうしよう」というような安全保障を考えるのもいけない。日本にとっての平和とは、安全保障を考えないことだったとも言えると思います。そのため国家だの安全保障を考える人は保守反動だったわけです。でも、国家を前提としない民主主義はありえない。国家を考えないのは思考停止ですよ。
亡くなった経済学者の高坂正堯さんは「学者が自由に論争できるのは経済しかない」と言っていました。つまり国家も天皇も創価学会もタブーだから、経済しか語れなかった。言論の自由はそこにしかなかったとも言えるんですよ。
田原
出口
原発問題も今まではタブーでした。
40年前に『原子力戦争』という本を書きました。「原発は危ない」という内容ですが、当時はそう言うことがタブーだった。
ところが、今は「原発は安全だ」というのがタブーです。どうも日本人はタブーをつくるのが好きですね。
田原
出口
長い間、思考停止状態に置かれていたせいだと思うんですよね。
いや、思考停止が好きなんですよ。たとえば、大企業の上層の人いわく、指示待ち社員が増えているというんです。上から言われないとやらない。なぜかといえば、自分で考えて行動したら怒られるんじゃないかと思っているから。
田原
出口
予備校講師という仕事柄、18歳の子どもたちを30年にわたり見てきました。時々世代の差をすごく感じることもあります。
僕が初めて講師になったとき、ちょうど校内暴力で学校が荒れている時代でした。その反動で学校は管理教育に走ったと思うんですが、管理が徹底して行われたせいで、結局のところ素直だけど自分で考えない子供が増えた。そういう印象をもっています。
だから指示待ちの姿勢は、教育によって作られた側面もあると思いますね。今や塾も手取り足取りで、こまめに面倒を見ないと親から文句が来る。このように学校の外でも指示待ちの態度が作られていった感があります。
教師と映画監督はコミュニケーション下手
指示待ちも問題なんですが、教える側の問題もあって、僕は世の中で、一番コミュニケーションが下手なのは教師と映画監督だと思っています。
教師は「自分の説明が悪いから生徒の理解が及ばない」とは考えない。生徒が間違えれば怒ればいいと思っている。
コミュニケーションとは、自分の言いたいことを話し、それが相手に理解されていく過程のことなんだけれど、教師は言いたいことを言えばいいと思っている。
次いで映画監督を挙げたのは、相手の言うことを聞いて理解するのもコミュニケーションでしょう? でも、映画監督はそんなことしない。ただ怒っていればいいからです。
映画じゃないけれど、演劇の蜷川幸雄なんて役者に灰皿を投げつけるわけですよ。蜷川の言い方が適切じゃないから役者は理解できないだけなのに、灰皿を投げつける。
田原
出口
自分が神様になっているわけですね。
大島渚もそうなんですよ。ところが、ここが面白いところなんですが、芝居や映画では監督が神様にならないといけないんですよ。
僕は一度映画を作ったことがあります。その時、主役のある男性が女性にふられて、波打ち際を歩くシーンがあった。上半身裸という設定なんですが、裸にネクタイを締めさせたほうがいいな。何となくそう思ったので、助監督に「ネクタイを買ってきてくれ」と頼んだ。
「どういうネクタイですか?」と言うから、どうでもいいと思ったけれど、「じゃあ白い水玉模様の赤いネクタイを買ってきてくれ」と言った。
田原
出口
よく思いつきましたね、そんなネクタイ。
そしたらしばらく経って、「すみません、赤がなくて青しかありませんでした」と、注文したのとは違う色を買ってきた。僕が「それでもいい」と言ったら、周囲のスタッフが「こんな監督の下では働けない」と騒ぎ出した。
田原
出口
え、なぜですか?
「赤でも青でもいいなんて、いい加減だ」ということらしい。ところが実は、この映画はモノクロなんです。赤でも青でも色は変わらないわけです。
でも、そこは赤だと言った限り、見つけてこなかった奴を蹴っ飛ばすのが監督の務めらしいんです。そうすると、なんだか周囲のみんなが張り切るらしい。
……なんだか余計な話をしちゃいましたね(笑)。
田原
第二部 思考停止という心地よさ
日本の教育は後進的だ
出口
お話を伺っていますと、日本人のコミュニケーション能力の低さの問題は、今にはじまったことでもないんじゃないか。そう思えてきました。
やはり島国という地理的条件は大きいでしょうね。「あ・うんの呼吸」なんて言葉が通じるのは日本だけですよ。
田原
出口
そういうコミュニケーションの問題は、教育の問題に直結していると思います。
つまり意志の疎通をはかるために言葉を用いて理解するのではなく、言われたことを理解することに力を注ぐ。そういう意味では、未だに日本は後進型の教育を抜け出ていないと思っています。
後進型とは何ですか?
田原
出口
西洋に追いつくことを目的とした教育が近代の出発点なので、教育といえば欧米の学問成果の翻訳の模倣。だから算数ならば計算力とか、ひたすら反復による暗記、記憶ばかりが強調されました。
それが前回話題になった、指示待ちの子供たちを量産した背景にもつながっていると思います。詰め込みがよくないということで、ゆとり教育になり、それが失敗したとなれば、また詰め込む情報量を増やす方針に戻す。
そうしたところで、何も考えずひたすら知識を吸収するシステムには変わりないわけで、要するに東大に行って官僚になるための教育モデルです。そういうのを壊していかないと、日本はもうダメじゃないかと思っています。
社会に正解なんてない
学校は正解のある問題の解き方を教えます。教師は正解を答えられない生徒を叱る。
でも、正解のある問題の解き方を教わったところで教育にならないわけです。そんなの世の中に出ればわかりますが、正解なんてないわけです。その場その場で自分で考えて判断していくしかない。
だから想像力・イマジネーションをどう高めるか。コミュニケーション能力をどう高めるかが重要です。
正解がある問題を解くのにイマジネーションもコミュニケーションも必要ない。とにかく暗記すればいいんだから。
田原
出口
子供の生きるための能力を育てるどころか、削ぎとるのが日本の教育になってしまっているのかもしれませんね。
僕は早稲田大学で講師をやっていますが、最初は誰ひとり質問もしない。講義が終わる時期になってやっと質問するようになる。こっちがさんざん挑発してやっと質問ができるという感じなんです。
田原
出口
ひたすら一方的に、言われたことを聞くだけ。そういう教育をずっと受けてきたわけですから、質問できないのも仕方ないです。
いまの話で思い出したんですが、小学校のときの算数で、「50人のクラスで体育の時間に帽子をかぶります。帽子には赤と白があり、赤い帽子を23人がかぶりました。白い帽子をかぶった子は何人いるでしょう」という問題がありました。みんな簡単に「27人」という。
でも、僕はそういう答えはおかしいと教師に言ったんです。「忘れて来るのが何人かいるはずだ」と。それがわからないと答えなんて出せないと言ったら、「屁理屈こねるな」と怒られた。
田原
出口
それはなかなか鋭い質問ですよね。それなのに質問が屁理屈だと思われる。そのエピソードから垣間見られるのは、思考停止状態にするほうが権力者にとって都合がよかったということです。
そうでしょうね。G8だとか首脳の集まる会議に日本の総理大臣や財務大臣が行ってもほとんど発言しない。なぜか?
日本人は正解を言わないと上の人間に怒られると思って、それが染み付いてしまったからですよ。だから何も言えない。
田原
出口
そういう教育でうまくいった人たちが、エリートになっているわけですね。あらゆる問題を考えてこなかった。そのツケが一気に噴出しているのが、今という時代かもしれません。
安全神話崩壊の嘘
ツケと言えば、「原発は安全だ」という国家の安全神話が崩壊したとメディアは言っていますが、これは嘘です。東電や経産省は安全なんて思ってたはずがない。
彼らはなぜ「安全だ」と言ったのか。僕は40年前に東電を取材したんですよ。その際、「どうして安全だと言えるんだ」と聞いたら、浪江や双葉あるいは大熊の町長に「“絶対に安全だ”と言わない限り、周りの住民たちがOKしない。だからそう言ってくれ」と言われたんだという。
でも、そうは思っていないから、東電だって「何か起きたときのために避難訓練をして欲しい」と言うわけです。そしたら町長たちが、「冗談じゃない。避難訓練をするということは絶対安全だとはいえないってことじゃないか」と言う。だから避難訓練さえもしていなかったんです。
つまり、絶対安全の神話は、「そうでないといけない」という国民世論が作ったともいえる。別に政府や東電が作ったんじゃない。
田原
出口
絶対安全の神話は国民にとっても居心地よかったんでしょう。考えなくて済むわけですから。
僕は40年前から「原発は危険だぞ」と書いてきた。だから、今になって脱原発を言う人は無責任だと思っています。
大江健三郎も含めて、脱原発と言えば事は済むと思っているけど、そうはいかない。
脱原発といっても、54ヶ所もある原発に使用済み核燃料がいっぱいある。これをどうするか。しかも中間処理も最終処理の方法も決まってない。
その問題についてアメリカで取材したんですが「100年くらい置いとけば、使用済み核燃料を安全に処理できる技術が開発されるんじゃないか」と関係者は説明した。
そんな現状なんだから、やっぱり優秀な原子力の技術者をどんどん育成しなきゃいけない。こういうことを言うと、「田原は原子力推進派だ」と決めつける人がいる。でも違うんです。
田原
出口
100年経ったらと言っても、その間に日本だったら大地震が必ず来ますからね。本気で考えないといけないことですよ。
考えるべきことをタブーにするな
とにかく日本人は、自分の頭で考えることが嫌いなんだ。素晴らしい会社だと思うから、あえてトヨタについて言いたい。
前社長がアメリカ市場に向けて、高級車レクサスの大量生産に2003年くらいから踏み切った。リーマンブラザーズの破綻は2008年ですが、3年前くらいからいずれそうなることはわかっていた。
専務や常務はやがて来る事態を理解していたのにストップをかけなかった。「社長が大量生産しろ」と決めたから、ノーと言えない。ここが日本の弱さ。
日本の企業は多かれ少なかれこうなんですよ。「それは違います」ということが言えないんですね。
出口さんの曽祖父の王仁三郎も戦争に反対していたわけで、やっぱりあのとき「反対」と言うのが正しかったんですよ。だって負けるに決まっている戦争ですから。
それに近衛文麿も東条英機もあの戦争は負けると思ってたんですよ。ところが反対だとは言わない。
田原
出口
当時のそう言うことのできない雰囲気に一番怖さを感じます。それで結局、責任を誰も取らない。
東条なんて戦争前夜の12月7日は、一晩中泣いたそうです。負けるに決まっている戦争を自分がやることになったからという理由ですよ。後からそう言っているんです。でも、泣くくらいなら「反対」と言えよと思うわけです。
田原
出口
王仁三郎の生きていた時代に、戦争反対なんて言えば、もうそれは大変でした。でも、そういう雰囲気は昔の話ではなく、今でもよくわからない空気が世の中を形作っていて、その根本は何も変わってないかもしれません。
考えるべきことをタブーにしてしまって、ついに考えなくなってしまうんですよ。
数年前に女性の宮家を作る話が出てきましたよね。僕はテレビ番組でそのことについて取り上げた。というのは、チャンスだと思ったからです。
どうして女性宮家を作るんだと言ったら、要するに天皇家を絶やさないためでしょう?
でも、なぜ絶えるとダメなのか。天皇について論争するのは未だにタブーだけれど、女性宮家の話をきっかけにオープンに議論できると思ったから、そういう番組内容にした。
田原
出口
なるほど。
だから、出口さんの曽祖父ができなかった論争が今できるんですよ。
田原
出口
ぜひやってほしいですよ。
いやいや、あなたこそやらなきゃ。
田原
第三部 既知に依存する官僚的論理から未来を作る論理力へ
官僚依存に陥った民主党
出口
田原さんは政治の世界を永らくご覧になってきたわけですが、そこで伺いたい。僕は少し前までは民主党を支持していました。一旦政権交代して、政官財の癒着を断ち切らないと、何もできないんじゃないか。そう思っての支持でした。ところが実際は……。
あまりにもひどい。
田原
出口
はい。結局、政権を担当したことがないので、いざとなれば官僚がいないと何もできない。気がつくともう官僚の言いなりになってしまった。
そこが問題です。僕も政権交代したほうがいいと思ったので一票を入れた。そしたら菅さんが「脱官僚」と掲げたから、「それは違う。脱官僚じゃない」と苦言を呈した。
どうしてかと言えば、航空会社のパイロットにあたるのが官僚ですよ。政治家はせいぜい役員です。パイロットがいなくて果たして飛行機が飛ぶかと。脱官僚なんて言ったら国は動かない。だから「せいぜい脱官僚依存にしなさいよ」と言ったんです。
それで、どうなったかと言えば、脱官僚が脱官僚依存になった。そうこうするうちに全部官僚任せになっちゃった。
田原
出口
やはり官僚を使いこなすことは難しいんですか?
ええ。頭がなまじ良いから、「この政治家は果たしてどの程度の人間か」とすぐわかる。「この程度か」と思ったら、その程度につき合うんですよ。
田原
出口
舐められちゃうわけですね。
官僚は「できない理由」を説明する天才
小泉政権時代、経団連や同友会の幹部たちが僕に「ちょっと田原さん、小泉さんに言ってくれ」と連絡してきたことがあった。
小泉政権の前半は日本経済が悪かったんですよ。「経済を良くする施策をしろ」と経済界の人間が言っても、彼は聞く耳持たない。あるいは聞こえても理解する頭がないのかもしれない。
とにかく小泉さんに伝えてくれと頼まれた。それで小泉さんに「経団連や同友会の連中が、『小泉さんは言うこと聞いてくれない。もしかすると理解する能力がないんじゃないか』とバカ扱いしてるぞ」と言った。
そしたら小泉さんは「そう言われてもしょうがないけど、俺は一切言うことを聞かないことにしている。自分の周りにいる官僚たちはみんな東大を出ている。自分は頭が良いと思ってる連中だ。俺は慶應出身でまともに勉強してない。そんな人間がなまじっか東大卒の言うことを聞いたら、俺が混乱するだけだ。だから一切聞かないんだ」と話した。
田原
出口
だから、郵政民営化とか道路公団民営化を進められたわけですか。でも、やっぱり官僚的な優秀さは、前例に従って事を処理する能力であって、前例のない未知のことに対しては、うまく対処できないですよね。そこが限界。
だから官僚は、「できない理由」を説明する天才なんですよ。「新しいことをやれ」と言われても、「できません。なぜならば」と長々と繰り出す。これを徹底的にやられたのが、ミスター年金と言われた長妻昭さん。厚生労働大臣だった頃、彼が何かやろうとしても、官僚はできない理由を言う。早い話がサボタージュですよね。
田原
出口
あの頃の長妻さんはやつれていましたが、そういう背景があったんですね。だからこそ新しい時代は、前例に沿って行動するのではなく、正解のない問題に挑む力を養うための教育が必要だと思います。そういう意味で、日本の教育を変える取り組みを始めています。
論理力の強化が日本の展望を作る
どういうことをやっているんですか?
田原
出口
かいつまんで言うと、論理力の養成です。要するに自分で物事を考える力です。いまはネットや多チャンネルになったテレビから膨大な情報が入ってきますよね。
そうなると情報をちゃんと識別し、判断する力がないと、いたずらに混乱するだけです。
昔は数%のエリートが大学に行って、物事を決定すれば良かったけれど、これほど高度に情報化された民主主義社会では、情報をきちんと把握して、選択をする義務がそれぞれにあると思うんです。
そのためには論理的に物事を考え、表現し、コミュニケーションする能力が不可欠で、英語を学ぶよりも重要だと思っています。
そこで論理力を徹底して子供の頃から鍛えようと、「論理エンジン」というプログラムや教材をつくり、学校改革に努めています。
いくら政治を変えても、旧態依然の教育を受けた人がまた物事を決定するポジションにつくようなら、日本はどうにもならないという気がするんですよね。
「論理エンジン」の目指すところは、従来の教育とどこが違うんですか?
田原
出口
これまでは情報を与えるだけの教育でした。中学校1年生の1学期の英語は、これだけの量をやりなさいといった具合に。
つまり、単語をどれだけ覚えるかという話ですよね。
田原
出口
そういうことですよね。ひたすら暗記するということは、模倣に徹するということです。そうではなく、自ら答えを見出していくうえで必要な日本語の運用能力を高めていく。
運用能力を高めるとはどういうこと?
田原
出口
今の子供たちは、論理的にではなく、何となく日本語を使うことが多いんです。「考えろ」と言っても、筋道立てて考えるとはどういうことか全く教えられていませんし、言葉の規則についても知りません。
例えば、「Aである」と主張しますよね。これを他者に理解させようと思ったら、次にその証拠となる具体例を引っ張ってきて説明したりします。Aとこの具体例は、同じことを説明しているから「イコールの関係」です。
あるいは逆に、対立する例を挙げることによって、Aを強調することもあります。これを「対立関係」と名付けましょう。
引用された例は、Aと同じか、あるいは反対のことですが、いずれにしても自分の主張の根拠となり得るから引っ張ってきたわけです。
今の国語教育は、そういったイコールや対立の関係を見出して文章を構成していくといったように、言葉を筋道立てて使っていく能力を養う内容にはなっていません。
だから、そういう学習をしっかりやっていけば、論理を意識して読んだり考えたり、発言することができるようになります。
根拠なき言説に溢れる政治の世界
なるほど。つまり論拠であり根拠ですね。今の政治を見ているとそれがない。
例えば、野田首相が消費税を上げると言ってますが、自民党は反対しています。でも、反対の論拠がない。全くないんです。
そもそも本当なら、自民党時代に消費税は上げとかなきゃいけなかったことなんです。
小泉さんが郵政民営化問題で総選挙に大勝したとき、僕は「消費税を15%にしなさいよ」と言ったら「その通りだ。でも悪いけど、自分が総理大臣になったとき『増税しない』と言った。『だからこそ痛みを伴う構造改革を甘受して欲しい』と国民に言った。増税は次の政権にやらせよう」と答えた。でも次の政権もその次も短命に終わった。
石原伸晃さんにも言ったんだけども、「民主党の消費税の値上げは感謝こそすれ、反対とは何ごとだ」と聞いても、その反論には論拠がない。
谷垣さんに至っては「民主党のマニフェストに反するから反対だ」という始末。「あんたたちは民主党を攻撃するとき、『マニフェストが破綻している』と言っている。だったら破綻しているマニフェストに反するなんて、理屈にならないじゃないか」と言ったら黙っちゃった。
田原
出口
その矛盾に気づかないんですね。
とにかく論拠なしの論争が平気で行われているんですよ。
田原
出口
政治家こそ論理的な言葉の使い方を習熟して欲しい。論拠もなければ因果関係もない。めちゃくちゃな話が多いですから。
自分の意見を述べるには、客観的な証拠が必要です。ところが意見と論拠の区別ができていない人が実に多い。
自分の意見を客観的な事実とごちゃ混ぜにして話をしてしまっている場面をよく見ます。個人的な意見と客観的な根拠を区別できないから、すべてが事実であるかのように話してしまう。
政治家に批判的な新聞も大きなことは言えません。消費税に賛成か反対かという、すごく単純な議論にしてしまって、考察になっていませんから。
そうですよ。だから出口さんの論理力を伸ばす教育をどんどんやってください。大阪にお住まいだったら、それは大阪の橋下市長にも提言した方がいいんじゃないんですか?
田原
出口
そうですね。チャンスがあればやりたいですけども。
チャンスなんか作ればいいじゃない。あなたの曾祖父なんて、チャンスをどんどん作ってやっていったじゃない!だから、これからの社会のために頑張ってくださいね。
田原
出口
楽しいお話をありがとうございました。今日は、田原さんから沢山勇気をいただきました。